人間はなぜ神を信じるのか?

あなたは1つの対象について
信じるか信じないかをどの様に決めていますか?

その対象が何かということにも
大きく関係してくることではありますが

信じるかどうかを判断する材料について
改めて考えてみてください。


今日ふとした時に思ったことがあります。

人間は自らの現実が苦しい時、
現実と近い価値判断で打開策を提示されても
それを素直に受け入れないことが多くある
ということを
ふと思いました。

例えば、
会社でとても辛いことがあったとします。

その状況な中で周囲から

「○○すれば改善できるよ」
「こう思えばいいんじゃない」
「そこから学んで成長すればいいんだよ」

そんな言葉を掛けられたとしましょう。

それらの言葉はごもっともと思うものばかりなのに
それが出来ない事ってありますよね。

これらはすでに全部
自分の中に存在している情報や感覚ではないでしょうか。

もう持っているものを外から
「使えば」と言われても

持っている自覚があるのに
それを使っていない自分がいるのですから

外から「使ったら」と言われても

「そんなこと分かってるよ!」
「それができたら苦労はしないよ!」

なんて感じると思います。


これが

現実と近い価値判断で打開策を提示されても
それを素直に受け入れないことが多くある

ということです。


ではこれとは逆に
現実から遠くかけ離れた価値観で考えたことで
普段なら「そんな立証できないこと信じれない」
と思うようなことであっても

現実を変える手段としては
変えたい現実と質の近い方法よりも
信じることが意外と簡単だったりするのです。


例えば、

神様があなたを成長させる為に必要と思う
最善の方法を与えてくれているんですよ。

なんてこと言われたら
「そうかもしれない」と、
思いたくなる感覚になるのではないですか?


 


立証も出来な事だからこそ
現実を変化させるためには、
思い込みやすい情報になっているのです。

変化を求めている状況では
立証や証拠が無い方がより
「信じる」を素直に使える・・・

私はそう感じます。

あなたはどう感じますか?