不完全を信じぬく!

信じていた何かに裏切られたことはありますか?

親友や家族、仲間や仕事や趣味など

どのようなものでもいいのですが、
あなたが大切だと思っていたことに幻滅させられるた
そんなことはありませんか?

そう、まさしく「幻滅」です。
幻想が消え去ったということですね。


誰かを信じる

仕事を信じる

行いを信じる

宗教を信じる


この「信じる」はとても意味のあることで、

「絶対あの人の言うことは正しい!」
「この仕事は絶対に世の中を良くしている!」

そんな熱い思いを持つことで、
とても大きな影響力を生み出すことができます!


そう、
信じるということは「力」そのものなのです。


しかし、
「信じる」という言葉が何に対して掛かっているかで
大きな違いを生み出してしまいます。


「あの先生はすごい!だからあの先生を信じる」

この場合は先生の力を信じていますよね。
そこには依存が強く感じられます。


「あの先生はすごい!だからあの先生のことを私が信じる」

こうなれば、
その先生のことを信じる自分の意思に
「信じる」という言葉が掛か掛かります。


これは言葉の表し方の違いなので、
この言葉からすべてを判断することは出来ませんが、

そこにある自分という存在を感じることは
出来るのではないでしょうか。


信じることは
とても素晴らしい「人間に与えられた能力」
だと思います。

しかし、
その能力の使い方を誤れば、
大きな傷を負うこともあるでしょう。

信じる思いが強ければ強いほど、
裏切られた時のダメージは大きくなります。

信じる対象が
自分であろうと自分以外の何かであろうと・・・


誰でも良かれと思ってしたことが、
逆の結果を生み出してしまった時は
ショックを受けると思います。

しかし
そのショックからすぐに抜け出し次へと進む人と

いつまでもそのショックから立ち直れない人がいます。


その差はいったいどこにあるのでしょう?






私が考えるそこにある差は、

「不完全を信じれる人」と「不完全を信じれない人」
の差ではないかと思っています。


この世の中には
100%完全に信じることができる
そんな対象はないと思っています。

これは

100%の完全が無いということではなく、
100%を認識することなど

私たちにはできないのではないか
ということです。


 


私たちが認識できる完全は、
部分的なものであったり
時間的に短いものだったりすることが
ほとんどです。

つまり、
100%完全だと思ってしまった人は、
信じるものに裏切られると大きなショックを受けてしまいます。

しかし、
そもそも100%完全なんてあり得ないんだというスタンスで

自分が認識する一部分だけを信じたり、
自分の「信じる」という思いそのものも
100%完全なものにはならないと認識したりすることができると、

信じていたものが
信じていたようなものでなかったとしても、
ショックに引きずられることはありません。


今回お伝えしたいことは、
「信じるのなら自らの思いを信じよう」という事と、
「100%信じる」という思いそのものが
不完全なんだということです。


すべての認識できる事柄が、
不完全あるということを信じて、
あなたの「信じる」を使ってみてください。



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